大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

宮崎地方裁判所都城支部 昭和49年(タ)5号 判決 1974年7月22日

原告

大坪カヲル

被告

宮崎地方検察庁都城支部

検察官検事

中村壽雄

主文

原告と亡山崎ヤエ(本籍鹿児島県川辺郡川辺町野間四、二四三番地)との間に親子関係がないことを確認する。

訴訟費用は国庫の負担とする。

事実

一、原告は、主文と同旨の判決を求め、その請求の原因として、つぎのとおり述べた。

(一)  原告は、昭和一〇年三月一六日、父亡笹原肇(本籍宮崎県北諸県郡高崎町大字前田六一八番地、以下単に肇という。)と母池崎文(本籍宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田一、〇七五番地、旧姓上久保で旧姓当時の本籍鹿児島県川辺郡川辺町野間三、二四八番地、以下単に文という。)の間に婚外子として出生し、「馨」と命名されて同年同月二七日出生届がなされ、戸籍上その旨の記載がなされている。

(二)  しかるに、原告は、さらに戸籍上では本籍鹿児島県川辺郡川辺町野間四、二四三番地山崎ヤエ(以下単にヤエという。)の非嫡出子として昭和九年八月一六日出生したとして「カヲル」と命名され、昭和一六年二月一一日出生届がなされた旨の記載がある。

右のような虚偽の戸籍上の記載がなされるに至つたのは、つぎの事情によるものである。

すなわち、ヤエは、文の姉であつたが、文が婚姻外の関係にあつた肇との間に原告を出産したものの、すでに原告が肇と文との間の婚外子として出生届がなされているのを知らなかつたため、当時文が婚姻前の身であつたのでその将来の幸福を案じ、文が私生子を出産した旨の出生届をすることに苦慮した結果、ヤエは、原告を自分の私生子として出産した旨の虚偽の戸籍上の届出をしたものである。

(三)  その後、肇は、昭和四〇年四月二二日に死亡し、ヤエは、昭和四八年三月二四日に死亡した。

(四)  そこで、原告は、二重戸籍のため種々の社会生活上の不利益を被つているので、虚偽の戸籍を抹消するため、検察官を被告として亡ヤエとの間に親子関係が存在しないことの確認を求める。

二、被告は、適式の呼出を受けながら本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面をも提出しない。

三、証拠関係<略>

理由

一まず、二重戸籍を有する者が、一方の戸籍の記載が虚偽であると主張してその戸籍の記載を消除するため同戸籍上親と記載されている者の死亡後にその者との間に親子関係不存在の確認を求める訴が許されるか否かについて判断する。

親子関係は、親権、扶養、相続等重大な身分法上の法律関係を生ずる基本となる身分関係・法律関係であるから、誤つて戸籍上二重に子と記載されている者は、一方の戸籍が真実と異なる場合には、身分法上の法律関係についての紛争を防止する手段として、戸籍法第一一六条によつてその戸籍を消除するためにその戸籍上の親との間に親子関係が存在しないことを確認する旨の確定判決を求める利益を有するものというべきである。

このことは、右の戸籍上の親が死亡した後においても同様に解すべく、この場合には、人事訴訟手続法第三二条第二項、第二条第三項を類推し、子は、検察官を被告として右死亡した戸籍上の親との間に親子関係が存在しないことの確認を求める訴を提起することができるものと解するのが相当である。

したがつて、戸籍上の「大坪(旧姓山崎)カヲル」と「笹原馨」が同一人であつて原告が二重戸籍を有することを前提に、検察官を被告として原告と亡山崎ヤエとの間に親子関係がないことの確認を求める本訴は、その前提が認められるかぎりは適法なものとしてこれを許すべきである。

二そこで、戸籍上の「大坪カヲル」と「笹原馨」が同一人であるか否か、および原告と亡山崎ヤエとの間の親子関係の存否について判断する。

その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第一ないし第一二号証に証人池崎文、笹原フヂエの各証言および原告本人尋問の結果を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

(一)  池崎文(本籍宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田一、〇七五番地旧姓上久保で旧姓当時の本籍鹿児島県川辺郡川辺町野間三、二四八番地)は、昭和八年ごろ、笹原肇(本籍宮崎県北諸県郡高崎町大字前田六一八番地)と婚姻する予定で同棲しているうちに妊娠したこと。

(二)  文は、昭和九年八月ごろ、出産のため当時宮崎県西諸県郡高原町に居住していた姉の山崎ヤエ(本籍鹿児島県川辺郡川辺町野間四、二四三番地)方に身を寄せ、同年同月一六日に原告を出産し、「カヲル」と命名し、その後数か月間ヤエ方にいたが、肇が出産費はもちろんのこと出産後の生活費も支給してくれなかつたので、同人との結婚生活に望みを失ない、昭和一〇年三月ころから同人との関係を断つたが、その際、原告の戸籍上の届出をどうするかにつきなんらの話合いもしなかつたこと。

(三)  肇は、文と別れるに際し、同女に告げずに昭和一〇年三月二七日付で原告が同年同月一六日に出産したとして「馨」なる名で自分と文との間の庶子女としての出生届をしたので、その旨の戸籍上の記載がなされたこと。

(四)  ヤエは、妹の文が原告をかかえていては結婚の足手まといとなり、かつ文が私生子を出産した旨の戸籍上の記載が存したのではその結婚の障碍となるのを案じ、当時夫と死別していたので、昭和一〇年四月ごろ原告を自分の子として引き取つて養育することとし、文は、そのころ原告をヤエに預けて鹿児島県川辺郡川辺町野間の実家に帰り、昭和一三年一二月二二日池崎景男と婚姻したこと。

(五)  ヤエは、原告を引き取つて養育してきたが、原告が小学校に入学する年令に達したので、すでに前記(三)のとおり原告が肇と文との間の庶子女として戸籍上届出がされていることを知らなかつたため、昭和一六年二月一一日付でさらに原告が自分の私生子女として昭和九年八月一六出生したとして「カヲル」なる名で出生届をした結果、その旨の戸籍上の記載がなされたこと。

(六)  原告は、小学校に入学してから文とヤエから自分は真実は文の子である旨を聞かされ、成人に達してから父は肇であることを知つたが、自分が肇と文の間に出生した子としてすでに前記三のとおり出生届がなされていることを知らなかつたので、前記(五)のとおりにして戸籍上記載された「山崎カヲル」の氏名で昭和三二年六月七日に大坪初志と婚姻し、その間に三名の子女をもうけたが、昭和四八年に至つて肇の妻であつた笹原フヂエから前記(三)のとおり原告が肇と文との間の子としてすでに出生届がなされていをことを告げられ、はじめてそのことを知つたこと。

(七)  笹原フヂエは、昭和一四年二月肇と結婚式を挙げて同棲し、昭和二一年五月二九日婚姻したが、昭和四〇年四月一五日に養子の守の高校入学に際し戸籍謄本を取り寄せた結果、肇と文との間に「馨」なる子がいることをはじめて知り、肇の親類や近所の人々に問い合わせて調査したところ、原告が「馨」と同一人であることが判明したこと。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆えすに足る証拠がない。

以上の認定事実を総合して判断すると、原告は、肇と文との間に出生した婚姻外の子であるが、戸籍上は「大坪(旧姓山崎)カヲル」と「笹原馨」なる氏名で二重に記載されていて、原告とヤエとの間には戸籍上の記載にもかかわらず親子関係が存在しないものと認めるのが相当である。

三そして、前掲甲第二・第五号証によると、肇は、昭和四〇年四月二二日に死亡し、ヤエは、昭和四八年三月二四日に死亡したことが認められる。

四以上のとおりであるから、検察官を被告として亡ヤエと原告との間に親子関係がないことの確認を求める原告の本訴請求は正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、人事訴訟手続法第一七条を適用して、主文のとおり判決する。

(辻忠雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例